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米軍による都市爆撃や本土決戦に備えて、国民学校の生徒らを比較的安全な田舎に避難させた「学童疎開」については、もはや数え切れないくらい多くの本や映画、芝居、テレビドラマなどで体験談が紹介されている。
だから、ここで私かそのことを書いても、それこそ梁の上に梁を架すことになるかもしれないが、私の子供の頃の思い出を記すにあたっては、どうしても避けて通れない話題である。 どこかで聞いたような話だとか、あるいは、自分も同じ体験をしたという方も多いだろうが、少しだけお付き合い願えればと思う。
私たちの疎開先は、今の地名で言えば、埼玉県大里郡妻沼町にある高野山真言宗の古刹、C慶寺だった。 家族と離れてさびしくはあったが、そのC慶寺に隣接し、女子児童の疎開先となっていた常楽寺には、学年が2つ下の妹のS子も一緒に疎開していた(妹はまだ就学前だったのだが、昭和小学校の教師をしていた伯母の計らいで、私と一緒に疎開することになったのである。

また、いちばん下の妹は、まだ小さかったので、両親のもとに残ることになった)。 そんな理山から、私自身は、むしろ、父や母と離れてさびしがるすぐドの妹を兄として庇ってやらなければという気持ちで、さびしがるどころではなかったような気がする。
C慶寺の場合、トイレがあるのは日本堂のある寺の敷地の外れ、つまり、墓地のそばの竹薮のむ近くだった。 都会っ子のわれわれが、夜中に起きてそんなところに1人で行くなど、できるはずがない。
しかも、当時は田舎では土葬があたり前だったから、雨でも降ろうものなら、墓地の布地表に浮き出た燐が、ぽうっと光を発して独特の怪しげな雰囲気をかもし出すのである。 当然恐ろしくて、そんなところに1人で行くくらいなら、ここでやっちゃえ……というわけで、毎朝、広い寺の境内のあちこちには、数え切れないくらいの布団が陽に干されていたものだった。
もっと悪いやつになると、自分の布団ではしないで、ずらりと並べてある中の別の布団にもぐりこんで、そこで用を足すのである。 その布団の持ち圭は、布団は濡れていてもパンツが濡れてないから、文字通りの濡れ衣を着せられることはないのだが、それにしても、いい迷惑だったろう。
いやはや、とんでもないものである。 私の少年時代の思い出の場所は、生まれ育った八重洲は言うまでもなく、そのほとんどが、今では当時を懐かしむことさえ見当たらないくらい変貌を遂げている。

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